人気ブログランキング | 話題のタグを見る

第21回「『三鷹大沢わさび』の苗植え付けを体験」

 東京都三鷹市は東京二十三区に近接する市だ。JR三鷹駅を中心として市街地が広がり、首都圏への通勤者の住宅街が密集している。が、次第に畑が入り混じり始める。

 三鷹駅南口から南西部にバスで20分ほど行くと、住所で三鷹市大沢というエリアに入る。ここに三鷹市が誇る「大沢の里」がある。野川に沿って水田や湿性花園、江戸時代に造られた大型の水車、崖(国分寺崖線)など田園風景が広がる。

 その中心に立つのが「大沢の古民家」。土地の名家「箕輪家」が明治35年(1902年)に建てた農家住宅(三鷹市指定有形文化財)だ。

 去る527日午前、その家に老若男女が集まった。三鷹市スポーツと文化部生涯学習課が主催する「三鷹大沢わさび植え付け体験ツアー」に参加する人々だ。アサヒも参加した。

第21回「『三鷹大沢わさび』の苗植え付けを体験」_b0427926_15530556.jpg
第21回「『三鷹大沢わさび』の苗植え付けを体験」_b0427926_15543394.jpg

 三鷹にわさび? 生涯学習課が発行した雑誌「三鷹エコミュージアム研究『みぃむ』」第5号によれば、

〈三鷹大沢わさびは、現在では日本にほとんど残されていない貴重な在来種で、江戸時代に伊勢から持ち込まれた原種である可能性が高いことが判明した〉


という。


 わさびの三大栽培種というものがあるという。「真妻」、「だるま」、「島根1号」だ。この3品種は根が大きく育つことから商品価値が高く、その以外の在来種は廃れる一方だ。その1つが三鷹大沢わさびで、日本のわさび研究の第一人者である、岐阜大学の山根京子准教授は、このわさびのDNA解析を行った。その結果、前述のような事実が判明した。


 三鷹市は三鷹大沢わさびの復活を目指して、業者に委託して培養苗の栽培をスタートした。今年3月にはボランティアが約100本の苗を植えた。


 527日には、様々なメディアを通じて募集した参加者によって、約900本の苗を植え付けが行われたというわけだ。


●わさびの歴史


 アブラナ科ワサビ属の多年生水生草木であるわさびは漢字で「山葵」と書く。日本原産植物で、日本人には最も馴染み深い香辛料だろう。


 奈良時代には薬用として用いられ、室町時代には薬味として利用された。が、それらは全て自生のものを採取していた。江戸時代に入って初めて栽培が始まった。現在の静岡県葵区有東木である。1697年に出された『本朝食鑑』にわさびの栽培について記され、1712年に出された日本の類書(百科事典)「和漢三才図絵』では、そばの薬味にはわさびが欠かせないと書かれている。


 江戸時代末期の文政年間(18181830年)には、江戸・霊岸島の『すし屋与兵衛』がわさびを挟んだ握り寿司を考案し、江戸っ子の人気を呼んだ。


 野生のわさびは山間の渓流で冷涼な清水が湧いているところに自生している。栽培も同じような条件(水温912℃の変動が少なく、かつ水量の増減がない)の清流につくられたわさび田で行われるのが理想だ。


 現在の最も大きな生産地は静岡県・伊豆の天城山山麓や長野県の穂高地方で、静岡県と長野県で全国のわさびの9割以上を生産している。


●大沢わさびの栄枯盛衰


 三鷹大沢わさびはもともとここに自生していたわけではない。今からおよそ200年前の文政12年(1812年)、前述の箕輪家の当主(婿養子)の箕輪政右衛門が、大沢の国分寺崖線から1年中水温が安定している豊富な水が湧き出していることに目を付けた。わさび栽培に適していると考えた政右衛門は、故郷の伊勢(三重県)の五十鈴川からわさびの苗を取り寄せて、わさび栽培を始めたのが最初だ。だから、歴史としては新しい部類に入る。


 三鷹大沢わさびは小ぶりだが味が良いという評判を得て、政右衛門は江戸・神田の市場に店を構え、わさびの卸売りを始め繁盛したという。


「三鷹市は大沢わさびの復活を目指して、業者に委託して培養苗の栽培をスタートした。今年3月にはボランティアが約100本の苗を植えた」と前述した。つまり、今、三鷹大沢わさびは復活させなければならないほど廃れてしまっているわけだ。


江戸時代から一気に昭和40年代にワープする。この頃、大沢の地は市街地化と道路開発が急激に進んだせいで、あれほど豊かに湧き出ていた水が減少し、わさび栽培は一気に衰えた。わずかに箕輪家古民家周辺のわさび田に自生化して残るのみだった。


 三鷹大沢わさびの特徴として、夏の高温に強く、水が少なくても栽培できるというものがある。ところが、最初から続けられてきた栽培法に問題があった。三鷹大沢わさびは収穫する際に根茎部分を株分けし、成長した親を収穫し、その根から分かれた小さな根茎を新たに植え直す「株分け法」が行われた。この栽培法が長く繰り返されたせいで、世代を継承する能力が衰えたとも言われている。


 ともあれ、植え付けは体験した。次は味わうこと。今のところ、それは未定のようだ。



FROM THE WRITER


 アサヒの妻、旭朱美はスリランカ料理研究家であり、自宅で料理教室を開いている。その活動報告をエキサイトブログ「Al Salone Sumi」(Al Salone di Sumi (exblog.jp))で行っている。


ようやく新型コロナも下火になったので、スリランカ料理教室を再開しました。みんなで一緒に作って、おしゃべりしながらのランチは楽しかった!」


 ということで、久々に報告が行われた。ということでアサヒのブログでも紹介する。


妻はスリランカ料理研究家。20代に勤務していた広告・PR代理店で約8年間、セイロン(スリランカ)観光局日本地区総代理店業務を担当。その後、海外旅行関連企業やホテルのPR、海外旅行業界誌の編集などの仕事に携わり、約50の国と地域を訪問。今までの経験や人脈を活かし、料理教室やレクチャーなどの小さなカルチャーサロン ”Al Salone di Sumi” を20151月よりスタートした。


良かったらアクセスしてみてください。


アサヒ


by toshi2022asahi | 2023-06-10 15:55 | Comments(0)

フードライターの旭利彦です。 筆者はスーパーマーケット専門誌『週刊ストアジャパン』で、食品を紹介するコラム「注目! フーズ&ドリンクス」(月1回)を執筆しています。2012年にスタートし多くの加工食品を紹介してきました。 このブログでは加工食品をいろいろな視点から深掘りします。


by アサヒ